今年の無病息災を願って🔥 池辺町滝ヶ谷戸自治会のどんど焼き行事を訪問!
2025年1月19日(日)早朝、池辺町滝ヶ谷戸自治会のどんど焼きが開催されました🔥
池辺町だけでなく、都筑区全域でもこちらのどんど焼きが最終開催だったそうです。
今回は当日の様子や、自治会の方に伺った池辺の史跡についてレポートいたします✐
そもそも「どんど焼き」ってどんな行事?
(この章はWikipediaの情報を参考に作成しております)
一説によると、どんど焼きの起源は平安時代に行われていた「三毬杖(さぎちょう)」という宮中行事。その行事が全国に広まって「左義長(さぎちょう)」と名称が変化。さらに地域によって様々に呼び名が変化していったそうです。
神奈川県で多い「どんど焼き」の「どんど」は「爆竹の音」を表しているそう! 多くは1月14日夜、もしくは15日朝にお正月飾りや書初め、お守り等を持ち寄ってお焚き上げを行う神事として催されています。
お正月飾りを燃やす理由は「飾りをもって迎えた年神様を天界へ送迎する」意味合いがあるそうです。また、どんど焼きの火で焼いたお団子を食べることで一年間の無病息災が叶うとされています。
ちなみに鏡餅は「年神様へのお供え物」で、その鏡餅をその家の子供達が食べることで年神様の霊力を体に取り込むという謂れがあります。実はこれが「お年玉」の起源です!
滝ヶ谷戸自治会のどんど焼きに訪問!
さて、「いけべnavi」編集者コンビも滝ヶ谷戸自治会のどんど焼きに参加しました!
まず、近隣の方々が持ち寄ったお正月飾りを積み重ねて山にしていきます。
火をつけると勢いよく燃え上がり、人の背丈以上に炎が立ち上りました🔥
この日は晴天で爽やかな早朝でしたが、冬の朝の空気の痛いこと😅💦 燃え盛る焚き火が少し憩いに感じられました☺
ただし近付きすぎには要注意⚠ 火の粉が飛んで服が燃えてしまったり、やけどしたりする危険があります。特に化学繊維の服は一瞬で炎が燃え広がって全身やけどに繋がってしまうので、本当に危険です!😨
安全に配慮しながら、さかす編集長もお団子焼き体験🍡
特にさかす編集長は、高身長ゆえに酷い腰痛持ちなので😅、どんど焼きのお団子パワーで力を養ってもらいたいです( ´艸`)
奇麗なお花やお飾りが炎に包まれていく様は、何とも諸行無常の響きを感じます( ̄ー ̄*)
終盤には「どんど」の由来の爆竹も投入され、迫力ある音が周囲に響き渡っていました!
火の始末も絶対忘れずに!
最後の片付けまで見守る経験が筆者には無かったので、当たり前のことではあるのですがとても新鮮に映りました。
この日、5歳の男の子とそのお爺様がどんど焼きの見学にいらしていました👦👴 お爺様は、とても好奇心旺盛なお孫さんに「日本の伝統を体験させる」ために一緒にいらっしゃったそう🍀
その男の子。しっかり消火を行って低温になった灰の山の中から、お正月飾りのねずみの置物を掘り出して、なんとさかす編集長にプレゼントしてくれました🤗 思いがけずほっこりした「お年玉」でした🐭
快くお話しさせていただいた滝ヶ谷戸自治会の皆様もありがとうございました✨
なにこれ珍百景?! 不思議な位置に鎮座するお地蔵様
今回のどんど焼きの会場となった「池辺白ゆり幼稚園」の駐車場内には、ちょっと不思議な池辺の史跡が残っています。
小さな祠と垣根に囲われたお地蔵様(地蔵菩薩庚申塔)。目の前の中原街道に対してハの字のように斜めに配置されています。その秘密を滝ヶ谷戸自治会員様が教えてくださりました✐
実はこのお地蔵様、元々はちゃんと道路に面していたとのこと。旧道は現在の「池辺白ゆり幼稚園」駐車場を斜めに貫くような形で通じていたそうです。
2000年(平成15年)頃までは、車が通る新道と、生活道路としての旧道が併設されていたそうです。旧道は鬱蒼とした竹やぶに囲まれていたそうですが、その道を行き交う人々の歩みをお地蔵様は見守っていたんですね😌
後に新道が拡張されて現在の中原街道になった際、旧道や竹やぶは一掃されてしまいましたが、お地蔵様だけは元の位置のまま現存され、このような光景が生まれたのだそうです!
「滝ヶ谷戸」バス停と、可愛らしいトランプ兵が描かれた幼稚園の看板。その脇にお地蔵様の祠に通じる小道があります。
ちょっと風変わりな、池辺町の小さな史跡。お散歩の際に注目してみてください🍀
地蔵菩薩庚申塔
この記事書いた人
なつみ(共同編集長)
はじめまして!いけべnavi共同編集長を務めます「なつみ」です。
記事ライティング、写真撮影・加工、ハンドメイド…。すべて下手の横好きなただのへっぽこ多趣味人が、今回ご縁をいただき、いけべnaviを皆さんと一緒にゆるりと楽しく創り上げていければと思います。どうぞよろしくお願いいたします!