こんな近くに書いてあった!「池辺町」の名前の由来 ~池辺町の由来と宗忠寺縁起~
「池辺町」の名前の由来は何だろう? そう思っていたら宗忠寺の石碑に書いてあるのを発見!
町名、池辺町の由来と宗忠寺縁起
古来より人跡が認められた池辺の地は、天地の息吹に呼応して流れ続けてきたであろう鶴見川のように、人々に彩られた歴史が千古の光を放っています。
私たちの町池辺は、正しくは「いこのべ」と読み、古くは伊子野辺、池野辺とも書き、「いけのべ」と古称しました。
宗忠寺の前に大きな池があり、その辺りに村があったので池辺と呼ばれるようになったと云います。
また古くは都筑郡池ノ辺村といい、明治二十二年の市町村制施行の際に、都田村大字池ノ辺となりました。
時代を経て昭和十四年に横浜市編入時に池辺町は新設されました。
宗忠寺は、元犬山城城主、小笠原和泉守宗忠が、徳川幕府の命令により江戸を守る要所として陣屋を池辺村に置いたことから、また父伊豫守長隆のために建立したとも伝えられています。
この陣屋は、宗忠寺から西に二百メートル位離れた大陣屋、小陣屋の屋号で呼ばれる島村家、志田家に偲ばれます。
江戸時代、池辺村は門奈、仲根、北村など旗本の知行地のほか、増上寺下、宗忠寺領七石などの記録があります。
(寄贈 吉田吉二郎 吉田清風)
実はこの「いけべnavi」のロゴマークも、本来の地名の「いこのべ」と現在主流の「いけべ」読みを意識したデザインになっています。
池辺の歴史を知ることができる貴重な資料。どなたでもご覧いただけます!
宗忠寺
〒224-0053 神奈川県横浜市都筑区池辺町2704
TEL:045-941-4726
この記事書いた人
さかす(共同編集長)
数年前、仕事上のご縁で知った池辺の町。歩いてみると新しいマンションや住宅もある中で、昔からの趣も根付いた町であると感じています。
いけべnaviが、そんな池辺町の奥深さを伝える情報発信の場となり、皆さんに愛される存在になることを願っています。